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私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

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新しいPCを導入して感じた人間とITとの関係、インターフェースデザインについて

モノ アート・デザイン 人間の能力・精神・哲学

メインのPCをWindowsからMacに変えて数年経つ。それでも仕事等で使う機会に備えてWindows OSも触っておかないと困るし、モバイル用に使えるPCにということで買った。それにMac版のexcelを使ってみたら、ショートカットキーの配置がなんとも使いにくくされていた。

余談だがMicrosoft Officeは2003が最も完成されたバージョンだったと思っている。それは使い慣れた仕様を変えられたという、変化に対応できない人間の愚痴ということではなく、現実的に使いにくくなった理由がある。リボンが導入されてから、場所ばっかり占領する割に、以前ならツールバーのボタンでワンクリックでできたことが、同じことをするのに数クリック要求されたりして、作業の効率が落ちた。初心者にもメニューをわかりやすく、探しやすくという趣旨は理解するが、それで以前より効率が悪くなったのでは意味がない。

日常的に使うPCとしては、XPからVista、7を通り越して今回8を手にしたことになる。以前のOSでのメニューがどこにいったか、新しく覚えることに加えて、タブレットスタイルでタッチペンと画面のキーボードで入力した場合、マウスを使った場合、タッチパッドのジェスチャーを使った場合と、3通りそれぞれで微妙に異なる動作があったりしてそれを習得するにも時間がかかりえらく時間を取られてしまった。買ってすぐは喜んで触ってみたものの、必要なソフトのインストールや設定を調整するのが億劫になってしばらくほったらかしてしまった。

XPを初めて触った中学生の時のような、誰に教えられるでもなくあちこち触っているうちに理解したというような感覚はだいぶ劣ったように思う。インドの学校に自由に使えるパソコンを置いていたら、誰が教えなくても、興味のある子が触って教えあったりして、ネットでゲームをダウンロードしたりチャットをしたりできるようになったという話*1があるのだけど、そういう時間や人間関係を持てる大人はまれだ。

自由に使えるようになればそれなりに楽しいのだけど、そのために貴重な休み、時間が潰れてしまったりして、それでいてたいして高度なことをしているわけでも、これを活かして金になる有意義な仕事をしているわけでもないのにと思うと、これだから嫌になる。私はPCを自作するほど詳しいわけでもないし、このようなデジタルものが特別好きなわけでもないような気がする。ただこれくらい使えないと困るような気がする、という強迫観念のようなもので触っている。身近に詳しい人がいて教えてもらえれば早いのだが、友達が少ないと苦労する。



デジタル機器を使って、したいことがどうやればできるかという一連の操作方法を習得するということは、それなりに高度な知能を要求する行為だろう。情報機器を使える者と使えない者間の格差ということでデジタルディバイトと言われるが、これは一昔前は世代間で言われたように思うが、今では世代内、若い人の間にも歴然と存在するようになってきたと思う。ケータイでインターネットは日常的に使うが、パソコンやスマホは持っていない、使えないという人を私の周りでも見聞きする。

技術が進歩し、各メーカーが競って高度なことができる製品を投入するようになればなるほど、操作が複雑化してくる。何ができるのか、どうやってするのかが、直感的にわかりやすいインターフェースというデザインを持つことが、とても重要なものになってきているだろう。高度な技術を備えた製品であっても、コストの高い製品は選ばれない。製品の価格というコストではない。操作を習得するのにかかる時間のコストだ。

私は携帯電話なんかでも分厚い取り扱い説明書でも1ページ目から全部目を通さないと気が済まない質だったが、普通の人はそんなことをしない。機器が高度化しできることが多様化してくれば、それら機能を全て網羅した説明書は電話帳のような厚さになってしまうし、そんなもの誰も目を通したいわけがない。だから直感的に説明書を見なくてもわかるデザインが第一に必要で、それをストレスなく実現する技術が伴わなくてはならない。ここにあの機能があるべきなのにと思わせるのはデザインが悪いし、読み込みにすごく時間がかかる等というのは技術が足りていない。

appleiPhoneは、そういう点ではやはりよく練られたデザインであると思う。赤ちゃんでも使い方を覚えられるくらいのシンプルで統一されたインターフェースと、高度なことをやりたいと思えば機能を追加できる拡張性を持つ。繋ぐ度にバックアップを勝手に取ってくれて、修理や新しい世代のiPhoneへの機種変で別の端末にしても、繋ぐだけで丸ごと環境を移してくれるので再設定の煩わしさから解放してくれる。分厚い紙の説明書はないので、活字を見ると読まなくてはという強迫観念にかられる私のストレスも軽減してくれる。

それでも某auの店舗で働いている友人の話を聞くと、使いこなせない人が一定数いて対応が大変らしい。基本的にiPhoneはPC上のiTunesに連携させて使うものだろう。PCを日常的に使わない人や、操作が分からない時に自分でググって(調べて)、ということができない人には使いこなすのは難しいのだろう。



パソコンやスマホに限らず、テレビ、家電、自動車、券売機、ATM等のあらゆる分野の機器で今後技術の高度化が進むだろうと予想される。そんな中で、とりあえず必要最低限のことが何の説明がなくともできるユーザーインターフェース、顧客に無駄な時間を使わせないサービス、そういうデザインを持たない製品やメーカーは生き残れないだろう。