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私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

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わからないなら聞けばいいじゃない

こころの記録

どう接していいかわからないから、何を悩んでいるかわからないから、何もできないと言う。見守ってるとか、応援してるとか言う。私にはよくわからない理屈だ。本人に聞けばいいじゃないか。何を考えているのか、どうして欲しいか。悩んでる本人だってうまく言えないかも知れないよ。答えなんか見つからないかもしれないよ。でもいいんだ。話を聞いてくれて一緒に悩んでくれる人がいるってだけでだいぶ救われるよ。存在を無視されることほど辛いことってないよ?

話を聞いて予想より重かったり、ちょっと自分の手に負えなさそうだと思ったら、「ごめんそれは無理。」って、「ここまではできるけど、ここからは他の方法を考えよう」って、言えばいいじゃん。それすらも面倒であったり、忙しくて付き合ってられないということはあるだろう。それを真剣にやろうと思ったら大変だということは私もわかる。全ての人にそこまでは求めていない。でも結局分かったのは、長い間私が危機的状況にあるということを知っていても助けてくれる人は誰もいなかったということ。私には声をかけるだけの価値もなかったし、社会の中で誰とも結合せずに一人ぷかぷか浮いていたんだということを思い知ったのだった。困ったときに助けてくれる医療機関なんて存在しなかったし、時間とともに傷が癒えるのを待っていたのだ。

何かの折に、誰々が心配してたよって伝え聞くことはあったけど、誰も私に直接言いに来てくれていない。心配はしてくれてるのかもしれない。だけど結局何もアクション起こしてないのは「直接は関与したくないです」って宣言してるのと同じだ。



ああ!なんか断片的過ぎてダメだな。これ読むと私が一方的に声かけてもらえるのを待ってたみたいに見えるけどそういうわけじゃないからね。