私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

スポンサーリンク

私たちは、税理士試験の適正化を要望します
このblogのおすすめ記事

非常口サインの世界標準を作った男「太田幸夫の絵文字デザイン展」刈谷市美術館

刈谷市美術館で行われた「太田幸夫の絵文字デザイン展」を見に行ってきた。太田氏は企業のCI(シンボルマークとデザイン計画)やピクトグラム、公共の案内サイン等を設計するデザイナーである。彼の手がけた作品で最も有名なのは非常口を示すピクトグラムだ。氏は刈谷市出身ということで、刈谷市美術館での展示が実現した。会期最終日のこの日、この展覧会を企画した学芸員の方のガイドツアーがあったので参加してきた。



始めに学芸員からお話があったが、この企画展はとても好評で会期中16000人の入場があり、これまでも当地で無料の企画展を行ってきたが、過去最高の入場であるとのことであった。私はもともとシンボルマークやフォント、ロゴ、案内サイン、記号、標識等のデザインに関心があり*1、非常口シンボルをデザインしたTシャツも持っていたくらいだからど真ん中だが、それだけ多くの人がこのデザインに興味を持っているということはうれしいことだ。震災後の防災意識の高まりもあって避難誘導サインが注目され、新聞テレビの取材で多くのパブリシティがあったことや、あるいはインパクトのあるポスターが集客に繋がったのではないかとの話であった。個人的には絵文字という言葉からは、昨今の携帯メールで絵文字を使うことが日常的になっていることを連想した。
(残念ながら館内での写真撮影は禁止されていたので適宜参考画像を貼っていく。)

緑色の扉に駆け込んでいる人をデザイン化したシンボルでおなじみの非常口のピクトグラムは、公募で寄せられたものを元に太田氏が手直しをして作られた。それまでは「非常口」や「出口」という文字が書かれているだけであったが目立つようにでかでかと表示すると平常時に目障りであることや、文字の読めない子供や外国人には意味が伝わらないという問題があった。その後、国際規格(ISO)に制定する際には各国からデザイン案が寄せられたが、暗闇や煙の中での視認性や心理的な効果も実験して意見を添えた日本案が採用され、世界的に使われるようになっている。世界的な記号として規格化されているが、各国で微妙にデザインに手が加えられていることもある。また日本でも誘導灯のメーカーによりトレースしないとわからないくらいの微細な差も見られる。(人のシンボルの背中の角度の違いや、腰の部分のカーブが直線になっているなど)

企画展ではデザインが本決定するまでの細かい仕様の違いが素描されたデザイン案が展示されていて面白かった。最近では避難という意味の共通を利用して広域避難場所のサインにも応用されている。


広域避難場所


▲韓国の大学の建物内に使われている非常口サイン。

ピクトグラムは日本のものと全く同じ。


▲新幹線開業時の0系車両には客室内に非常口があった。(鉄道博物館の展示車両)

ただし、なぜかこのピクトグラムを未だに採用しようとしない国がアメリカである。白地に赤のEXITの表示を頑に続けている。FAA(アメリカ連邦航空局)が安全基準を定めるせいで(?)、日本や他の国の航空機の中の表示もこれにならっている。


▲確かこれはJAL B747-400の扉。

▲アシアナエアライン B767-300


企画展では、夜間や停電時の暗闇での避難誘導を目的として使われる蓄光案内サインのメーカーから提供された試作品の展示もあった。ちなみに以下に示すのは、JR東海313系電車の車内にある案内サインを私が撮影したものだ。初期に投入された0番台では文字だけの表示であったものが、以後の番台ではピクトグラムが加えられ、蓄光式になっているのがわかる。こうした表示ひとつにも、非常時に誰もが直感的にわかるようにと手が加えられてきているのが分かる。


313系0番台客用扉の非常用コックを示す表示。


▲同1100番台の車両。

▲同じように見える禁煙マークもよく見ると煙のあしらいに違いが見える。

ピクトグラムと言語

よい本があるので以下にレビューを掲載する。

約2000種のピクトグラムを紹介。交通エコモ財団が制定した標準案内用図記号(125種中110種がJIS規格化)や、米国運輸省USDOT(United States Department of Transportation)の案内用図記号、安全標識や道路標識、空港や地図で使われているサイン、動物園のピクトグラムなどが歴史的な変遷や各国の比較、文化による違いなどと共に掲載されていて興味深い。

日本におけるピクトグラムの採用は1964年の東京オリンピックを契機に始まった。戦後初の国際的な大イベントで言語の壁を越えて案内する手法として、各種競技や施設、約60種のピクトが作成された。プロデューサーの勝見勝氏はピクトグラムを日本の家紋から発想したという。このピクトグラムは国際的にも大きく評価され、その後も引き継がれている。トイレを表すのに男女のシルエットを使ったのも東京オリンピックが最初だが、当初は意味が理解されず、一般に広まったのは1970年の大阪万博だったという。

地域の文化に根ざしたシンボルは見ていて楽しいものでもあるが、グローバル化が進む時代にあって基本的なものは共通化が進んでいくだろう。例えば国際的に販売される自動車や電化製品などの操作を表す記号は統一されていることが望ましい。何気なく目にしているサインやシンボルも細かく見ていくと実に奥が深いのだ。

オリンピックや万博といった国際的なイベントが開かれる際に、公共のサインにピクトグラムの必要性が認識された。ピクトグラムは会場だけでなく、空港、駅などの主要な施設で使われ、そして街中に広まっていった。日韓ワールドカップを控えた2002年には国土交通省の所管団体である交通エコロジーモビリティ財団が統一することが望ましいものとして標準案内用図記号を策定し、公開した。例えば駅を示すピクトグラムが、それまで各社局のシンボルマークや独自にデザインしたものが使われてきたが、だんだんと統一されてきているのはこの流れを汲むものである。

先日ある世界史の先生の講義を聞いて触発されたのでこの話を書く。

原始、人々が言葉を記録する時に使った文字は絵文字であった。メソポタミアシュメール文字も、エジプトのヒエログリフも、マヤ文字も絵から始まったのである。漢字の成り立ちは象形文字であるのは言うまでもなく、アルファベットで表されるラテン文字シュメール文字ヒエログリフを組み合わせて抽象化したところから生まれた。近世になって作られたハングルも、発音する際の口の形を図記号化したものである。あらゆる文字は全て絵から生まれたのでないか。

世界は言語で分化してしまったため、異なる言語間では文字を見ても直接対話することが出来なくなってしまった。国際共通語としてエスペラントが作られたが、狙ったようには普及していない。だが今こうしてピクトグラムが国際的な対話記号として徐々に整理され、異なる言語の世界が対話できるようになってきていると考えると感慨深いものがある。*2

*1:こういう写真とか撮ってます。http://f.hatena.ne.jp/mark_temper/t/%E6%A1%88%E5%86%85%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3

*2:太田氏のworkの中にもLoCoSというピクトグラムを元に文法体系を構築した言語があるが、これの評価についてはひとまずおいておく。