私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

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話す相手がいることの重要性

結局19時過ぎまで起きれなかった。汗びっしょりになった。結局今日やらねばいけないタスクが何一つできていなくて絶望的になる。締め切りすぎちゃったし。

ビールを飲んで、iPhoneiPod touchについて調べた。ゲームや音楽はたぶん使わないけど、考え事をしたときにすぐに残しておくための入力デバイスとネットを見るのに良さそうだ。携帯との併用になるが、スマートフォンガラケーより汎用性が高く使いやすそうで、ノートPCを持ち歩かなくても良くなるかもしれない。明日iPod touchを買ってこよう。




一通り調べたら疲れてまた寝た。それから23時過ぎ、COSMOの時の同期と電話で話した。今、気持ちが下がり気味なこととか、何がしんどいとか聞いてもらった。

最初うまく話せなくて(言語化ができなくて)ひねり出てきた言葉を吟味してみたら、自分の悩みが中二病っぽいことのように思えてきて苦笑。つまり、自分だけが特別な苦闘をしているんじゃないかという悩みが、客観的に見てみたら若さゆえに多くの者が通る青い考えだったりして。まぁこれは、自分は他の人とは違う特別な存在である・ありたいという、一般的に人なら誰もが持っている心理だとは思う。で、話していくうちに中二病的でない他人との考え(感覚)の違いも判明。

しかし、考えが少し整理できた気がする。人に説明しようとすることで、自分の中で考えが氾濫してうじゃうじゃしている部分(言語化できていない部分)を論理的に組み立てる作用があると思う。

私が必要としているのはこれだ。友達がいなくて困るのはその相手がいないと言うこと。アドバイスが欲しいとか、解決法を提示してもらいたいとか、高度な欲求でなくて何より、単に話を聴いてもらえるということが重要なのだ。(それも壁に向かって話していては意味が無いので、適度に相槌を打ったり引き出したり、話の交通整理ができる相手である必要があるが。)

だけどまぁ話を聴くだけでも大変なのだろうか。大変なんだろうな。私は人の話を聞くのは好きなので、全然自分とは違う考えでもとりあえず面白がって(興味本位で)聴くが。



聴いてもらえてよかった。ありがとう。