私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

スポンサーリンク

私たちは、税理士試験の適正化を要望します
このblogのおすすめ記事

大阪万博の熱気、スタッフの奮闘を伝える作品


プロジェクトX 大阪万博 史上最大の警備作戦 [DVD]

大阪万博の警備に携わった3人の記憶を元に当時を振り返る。1970年、日本は初めての国際博覧会を開催し世界の一等国入りしようとしていた。民間の警備会社が興隆しつつあった時代、博覧会会場の警備を担うことになったのは警察出身者と複数の警備会社から成る協会警備隊。

新潟県警警務部から万博協会警備隊の責任者になった男は、当初3000万の観客来場計画を聞いてデモ隊の警備を想起したと言う。だが威圧し押さえ込む警備から、万博を楽しみに長時間かけてやって来た来場者にサービスする警備とは何かと考え実行していく。

バッファローダッシュ(この言葉もこの時できた?)を防ぐ工夫や、動く歩道の終点に目隠しをする、行列の分断整理、長時間の滞留でイライラの募る来場者の気をそらす、等事故防止のための様々な手法。その後のオリンピック等大規模イベントの警備計画の基本はこの時作られたようだ。

島根県の人口を超える数の人が会場に押しかけたある土曜日の出来事。

残念なのは恐らく3人の証言を元に構成しているため出てくる情報が断片的で、再現映像も多い。まぁ、それがプロジェクトXの流儀だと言われればそれまでだが。警備計画の全体的な俯瞰や当時の映像を見たい私のような向きには、不満足な内容であった。

イベント会場の警備員としての心構えや、お客さんとの触れ合いの思い出を通して当時の空気を想像するには良い作品。

 昭和45年は、大阪府千里市で日本万国博覧会(以下、大阪万博)が開かれた年でした。西欧文化圏以外で初の万国博として注目を集め、77カ国が参加して、3月15日から9月13日まで183日間、開催されました。
 大阪万博は、当初予想では観客数3000万人でしたが、しり上がりに人気が高まり、約6,422万人という、当時の博覧会史上、最高の入場者数を記録しました。内外の118館のパビリオンが立ち並びましたが、アメリカ館の月の石などが大変な人気を博しました。
 大阪万博の警備は、昭和43年8月から万博会場の建設現場警備から始め、他社との分担によりスタートしました。45年3月15日からは、会期中の警備に入りましたが、南方面を担当し、建設現場警備から数えれば、9月13日まで2年1ヵ月強、無事故で警備を行い、無事終了しました。
 こうした大規模なイベントの警備の経験とノウハウは、今年8月に開催した大阪世界陸上などの警備にも脈々と受け継がれ、活かされています。

セコム創業物語 第21回〜30回|企業理念・歴史|【セコム】防犯、警備、ホームセキュリティのセコム株式会社 −信頼される安心を、社会へ。−

日本万国博 《40周年記念》 スペシャルDVD』

(この項2011/1/7追記)
劇場公開版記録映画「日本万国博」の素材映像から、既発のDVDボックスに含まれていない、「開催準備編」(35分)と「施設・運営編」(60分)を収録して新たにリリース。

「開催準備編」では65年の開催決定から、会場の起工式、外国館の出展決定、パビリオンの建設に至るまでの4年半を追う。純国際的なイベントで外国の要人等を招きながらも、神式の地鎮祭が繰り返され(国によってはその国の慣習で)、ヘリコプターに神主を乗せて空中からの祈祷が行われたと言う面白いシーンが見られる。

万博では、押し寄せる観客の事故防止に苦労した警備隊のことが語り草になっているが、「施設・運営編」では、その熱気、勢いをまじまじと感じることが出来る。最新の大型コンピュータが使われ、無線で指示を飛ばす警備隊司令室の様子や、迷子の引き合わせで案内所間で活躍したと言うテレビ電話システム等を使っているところも。見ているとコンピューターという言葉がやたら強調して使われているのを感じる。コンピュータというものが科学の粋であり、今よりもずっと権威があって万能視されていたであろうことを伺わせる。会場案内を担当するエキスポシスター(女子警備隊員という位置づけだったようだ)の朝礼が敬礼で締められているところなども、柔らかなおもてなしのサービスが進化した今とは隔世の感である。

83万人の入場者に溢れ返った日のドキュメントも余すところなく収録。人が詰まって会場を出ることもままならず、終電車は出発。滞留者5000人が会場の中で一夜を明かした伝説的なエピソード。ベンチで眠る人々の間で黙々と清掃するスタッフの姿は、祭典を影で支えた人たちの存在を伝えている。

制服で見る協会従業員(ホステス)

斬新で一際目立つ制服に身をまとったホステスと呼ばれる女性の案内スタッフが、万博会場の花として注目を集めた。パビリオン毎にもそれぞれのテーマや建物と合わせた制服のホステスがいたが、ここでは博覧会協会スタッフの姿を映像の中から抜き出してみた。

余談だがホステスという名称は、やはり当時人気の的であった飛行機のエア・ホステスからの連想による名付けだと思われる。しかしその後水商売で接客を行う女性*1にも使われるようになり、イメージが低下したため、その後の博覧会ではコンパニオンという名前に代わられるようになった。コンパニオンという名前は水商売と同様に、宴会コンパニオンや、展示会やキャンペーンではイベントコンパニオンというように使われるようになった。しかし広く一般に定着するようになってくると言葉は陳腐化し、新鮮なイメージは失われる。2005年の愛知万博では同種の職種にアテンダントという名称が使われた。(これもキャビンアテンダント、フライトアテンダントからの類推であろう。)万博は、新しい概念や言葉を世に広める場所でもある。


▲エキスポフラワー(改札係員)


▲朝礼で敬礼するエキスポシスター。

▲エキスポシスターの制服は画像の青の他に赤いタイプもあったようだ。

▲会場内を巡回するエキスポシスター。迷子の保護に活躍した。

▲テレビ電話システムを使う迷子センターの係員。

▲迷子ワッペンを配るホステス。迷子の発見解決に威力を発揮した。


▲案内所で勤務する万国博ホステス。エスコートガイド(VIPアテンダント)と同じ制服。


▲入場券販売係員。


▲会場内輸送を担ったエキスポタクシー(電気自動車)。


▲警備オペレーションセンター。




▲西口の大階段で観客の事故を防止するため先頭を押さえながら進む協会警備隊。

動く歩道

▲混雑で会場から出られなかった日、外から出前のラーメンを受け取る人。

以上の画像、「日本万国博 施設・運営編」より

*1:風適法でいう接待飲食業