私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

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いなくなりたいという願望

最近、いろいろな人と話す機会が以前に比べると増えた。職場に馴染んできて、先輩や上司やお客さんとも話したり、交渉したり、今度新しく後輩も入ってきたりして。仕事に勉強に頑張って、彼女や家族、友達との関係。

そういうのが楽しいと思う同時に、タスクをこなすストレスでもあり、紛いなりにもそんな社会生活を送っている自分がたまに滑稽にも思えてくる。

周りの人との関係性を築いて、しがらみができて、責任感が生じて、自分が根付いていくことに忌避感がある。多くの人と関わって存在感が増すと、突然いなくなることが迷惑になるから。

たくさん喋った日は、夜寝る前にその日の会話を思い出す。自分の言った余分なことを思い出し、できなかったことを思い出し、自分が嫌になり、言いようのない漠然とした不安を抱き、虚無感に襲われる。人間関係が恐ろしく面倒になる。

ある日、ふらっと何も誰にも言わずに居なくなりたい。全部投げ出して、無になりたい。そういう願望が自分にはあるのだと思った。

願望だけじゃない。実際今までの人生で、何もかも嫌になり、失踪しようと行動に移したことが何度かある。顛末はここでは省く。ホームレスになったり、巡り巡ってあいりんに流れ着いたりする人の中には、そういうメンタリティや精神障害を持った人が多いとも聞くので、何かあればわりと自分に近い世界のことかもしれないと思っている。

小学校、中学校、高校、大学と、全部不登校になり引きこもってドロップして(その度に一念発起して復帰もして)きた自分には、その後の社会人時代も含め、友人関係は切って、切られしてきたのでほとんど何も残っていない。

最近でも、何かの拍子に彼女と突然連絡を取らなくなり、数日間音信不通ということを繰り返している。その度に謝り、もうしないと約束し、心を入れ替えようと決意を新たにする。

「投げ出さない」が30歳になった時の目標で、「毎日コツコツやることをやる」が今年の初詣で誓った目標であったはずなのに、3日と経たず、あんなに考えて決めた目標がどうでもいいことになってしまう。考えが自分でも驚くくらい目まぐるしく変わる。(完全に株をやるには向いてない。)

AD/HD、発達障害の診断を受け、コンサータの投薬を開始しておよそ2ヶ月になる。

この治療を始めることになったのは、もともと次のような問題に対処する必要性に迫られてのことだった。

1.もともと睡眠が長くて、8時間くらい寝ないと昼間集中力がなくフラフラしたり寝てしまう。(これは小学生くらいからずっとそうだ。)

2.気分の変動が激しく、すぐ諦めてしまうので、一つのことが継続できない。
3.ネットやスマホ、新聞を読み出すと時間が来ても止められない。

明らかに、仕事をしながら税理士試験の勉強をするには支障していて(今は2時間半の授業を週3コマ、その2倍から3倍の復習、問題演習、暗記時間を作らないと授業についていけなくなる。)、これでは10年かかっても受からない(税理士試験は本当に10年くらい勉強している人がいる)から、なんとか対処しなくてはということでたどり着いた。

成果は、昼間疲れて寝てしまうということはほとんどなくなった。落ち込んだ時の気持ちの切り替えも前より早くできるようになった。という点には出ているが、なかなか他の部分では改善していない。

人と関わりたいと思う一方で、関係を絶ちたい、いなくなりたいという願望が出てくるのは、障害に関連してのことなのか。治療で改善することができるのか。今度医師に聞いてみようと思う。

過ぎ去ってしまえばなんでそう思ったのかもわからなくなるくらいだから、できれば最初からこんな感情に支配されなくて済むようにしたい。

今回こんなことを考え出したのは、たぶん、このところ急激に寒くなって、体が冷えて気分も低下したこと。PCとスマホのやり過ぎで、目の疲れが激しく、首、肩、背中の凝りが酷く、毎週マッサージに行っても痛くて他ごとができなくて、もう絶望的な気分になったこと、から始まっている。これを書いているうちに大分気分が落ち着いてきた。ここまで書くのに約3時間。