私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

スポンサーリンク

私たちは、税理士試験の適正化を要望します
このblogのおすすめ記事

名古屋で見た金環日食は雲の動きが神がかっていた

5月21日、日本の各地で日食(金環日食)が見られた。天文現象としては、社会一般でも異例の注目のされ方だったように思うが、日本の大都市部で見られる金環としては極めて珍しく*1、昼間誰もが気づくわかりやすさが話題になった理由のように思う。経済的な活動としても盛り上がりが見られた。JALのチャーター機で天気に影響されない雲の上から見るツアーは、窓一つ分独占で76000円と出せる額じゃないと思っていたが、名古屋(小牧)発着、フジドリームエアラインズのエンブラエル170(シート配列2+2)で一席25000円はお買い得だったかもと思った。

書店では日食を特集した雑誌が多く並び、観察グラス付きでいろいろと販売されていた。科学専門誌の特集も読みたかったが忙しかったので薄くて漫画の解説で、観察グラスなら5枚は切り出せる大きめのプレートがついていて500円だったので私はこれを買って当日に備えた。


そして平凡に地上からだったが綺麗に見えて、コンパクトデジカメで撮影したがなかなか良い写真が撮れた。それというのも曇り空で心配だった空が、部分日蝕が始まる頃は薄曇りで合間合間に見え、丁度金環になった頃に晴れるという神懸かり的な動きを見せたからだ。

撮影に使ったのはこのカメラ。


前日近くに泊まったので、丸の内の日銀前の歩道橋の上から見ることにした。7時頃から観察開始。


うす雲がかかったおかげでフィルターを使わなくても太陽の輪郭がくっきりと写真に撮れた。

日食が進むうちにだんだん人が増えた。

観察プレートを通して撮影した太陽。

通勤途中の人も大勢歩道橋の上で見上げている。


7:30頃。いよいよ金環に。

金環日食中も青空だが、心なしかいつもよりほのかに暗い気がした。

金環の最中だが雲がかかっていないと光が強すぎて形が写真に写らない。

太陽に入ったのと反対の方から月が出て行く。


ピンホールを通した影に太陽の欠けた形が写る。

穴は丸くても影は三日月形。


太陽がだんだん大きくなって、あたりの気温もぐんぐん上昇してきた。

風景と日食中の太陽を同時に撮影。

この写真は8時頃だがこの頃には歩道橋で日食グラスを持って見る人は全くいなくなっていた。


金環日食はとても美しく、また太陽熱の威力も実感することとなった。


今回の観測で、金環日食の見える限界地点を調べることで太陽の正確な直径を算出して、今まで公式に認定されていた数字より小さいことがわかったというニュースを見た。金環日食は地球規模で見れば数年おきくらいにどこかで見られるというので、なぜ今までにわかっていなかったのだろうか?



120521金環日食

※この記事のタイトルについて
「神懸かり」は名詞で、動詞化するとサ変動詞「神懸かりする」が正しいとされているが、感覚的には「懸かる」からの連想で(神)かからない、かかります、かかった、かかる・・・とラ行後段活用だよなあ。

*1:名古屋では932年ぶりと中日新聞が書いていた。次回金環日食が見られるのは北海道では2030年、中部地区では2041年