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私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

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地震と、なぜ生きているのか(或いはなぜ死ぬのか)

社会

twitterに少し書いたもの*1を再構成。

「生きていることが当たり前ではないと知った」「生かされていることを感じた」という言葉を中日新聞で目にした。私は釈然としないものを感じている。震災で親しい人を亡くすなどして出た言葉であることは理解するが、「生かされている」がずっと気になって素直に受け入れられない。

 やや旧聞に属するけれど、選抜高校野球創志学園高(岡山市)の野山慎介主将が行った選手宣誓には、多くの人が心打たれた

▼人は仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えられると信じる−。そんな力強いメッセージの中にあったのが、「生かされている命」に感謝する、という件(くだり)だ。その言葉に、今日で発生から一カ月になる大震災が、私たちにもたらした変化を思う

▼「3・11」を境に、あらゆるものが、それ以前とは違って見えるようになった感覚はないだろうか。穏やかな海辺の光景、煌々(こうこう)とネオン輝く街、安全な水や野菜、温かい食事…。当たり前だと思っていたことの多くが実はそうではないと気づかされた、と言ってもいい

▼ある被災地の高校生は、震災後の思いを聞かれ、「簡単に死ぬなんて言ったらいけないと思った」と答えた。あの膨大な命の喪失は、私たちが“生き残り”であり「生きていること」は当たり前のことではないと思い知らせた。つまり「生かされている命」だ、と
(以下略)

中日新聞:中日春秋:コラム(CHUNICHI Web)

高校野球の選手宣誓にねちねちけちつけるようなことはしたくないのだが、このような取り上げ方は蛇足だと思う。なぜしっくりこないかとずっと考えていたが、「生きていることが当たり前ではない」は「生かされている命」とイコールではない。

それに「生きていることが当たり前ではない」ということは、今あえて知ることなのだろうか。言い換えるなら、今でないとわからないことなのだろうか。挑発的な言い方になるが、普段から生死を考えている者にとっては当たり前すぎることだ。私は、漫然と生きていることは生きることへの怠慢だと思っていて、それよりは自覚的に死を選ぶことを是とする。人間は本当に小さな存在であり、事故や災害であっけなくなくなってしまい得る。

今私が生きていることは奇跡的な偶然の積み重ねで、それは文字通り有難いことであるが、偉大な誰かの力によって選ばれたりしたものではない。結果に対して自分が納得できる解釈を用意する精神医学的な効用までは否定しないが、「私は生かされている」というのは随分勝手な思い込みではないか。

「亡くなった誰かの分まで生きる」というのは臓器移植を受けた人の中にも口にする人がいるというが、防衛機制としての合理化に過ぎないだろう。そこには単なる結果しかない。意味は人が与える。神という発想を持つのはやっぱり楽なんだろうな、考えなくていいから。

被災地と自殺

ところで、これから被災地では急場を張り詰める緊張で乗り切った人たちの悲しみに向き合う作業が始まる。避難所を出た人たちが、現実的な生活を取り戻すまでの戦いが始まる。東北の街は苦難に負けずきっと復興すると私は信じている。しかし元気に立ち向かえる人たちばかりではなく、先行きが見えず影で打ちひしがれる人たちも必ずいる。

福島県飯館村で102歳の男性が自殺したというニュースもあった。*2地震で生き残っても、死にたいと思う人はいる。

阪神淡路大震災でも関係が希薄化する仮設住宅での孤独な自殺は相次いだと言う。

孤独死は震災があった一九九五年は四十六人(自殺三人)、九六年七十二人(同四人)、九七年七十人(同五人)で、昨年は四年間で最も少なかったが、自殺は七人と最多になった。
1999年1月13日朝日新聞朝刊

自殺、最多の7人 阪神大震災仮設の孤独死

一方で、日本で起きた阪神大震災新潟県中越地震などについては自殺率が減っている*3とする研究もある。安易に結論付けることはできないが、これは危機的な状況下とその後の復興期で、人々の間で連帯感や精神的結束が強まって自殺の防止に働いたという見立てもできる。結婚したい男女が増えるんじゃないか、というまことしやかな話も目にしたが実際影響するだろうか。*4

ともかくとして、人との繋がりを感じられないことや自分は社会から見放されていると感じることが、自殺の動機の一つとして大きい。ストレスや孤独は、アルコールやたばこへの依存症のきっかけにもなる。お互い励ましあえる関係を持つことはとても重要だ。問題はすぐに解決できなくても、誰かの話を聞く・聞いてもらえるということがシンプルだが不安を軽減し「生きていこう」という活力をもたらす。「生かされている」などという義務感ではすぐに限界が来るのだ。

*1:http://twilog.org/mark_temper/date-110411

*2:家族避難を苦に自殺か 飯館村の102歳男性

*3:地震と自殺(1):ケアは誰に必要か? - 自殺サイト:自殺・臨床心理学 (和光大末木研ブログ)

*4:念のため過去の年別婚姻・離婚率も調べてみたが相関関係はわからなかった。誰か地震のあった前後の年の都道府県別統計を調べてみて欲しい。