私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

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文化とは何か

『観光文化論』レポート

文化とは何か

この授業では、“文化とは何か”ということについて再三考えてきた。広辞苑からの引用によれば"人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果"であり、特に"人間の精神的生活にかかわるものを文化"、"技術的判手のニュアンスが強い"ものを文明と区別するということであった。

ここではもう少し私たちの実感に近いものとしてレベルを降ろして考えてみたい。技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治といった高尚に体系付けられたものが文化であることは間違いないが、もっと私たちの生活に密着していて普段"文化"と意識しないようなものであっても文化と呼べるものがあるのではないかと私は思う。即ち端的に衣食住とまとめられる風俗であったり、特定の集団に共通する行動様式、ものの考え方、流行等だ。

長い歴史に裏打ちされたものでなければ文化と呼べないと考えるのは誤りだ。平安時代には京の都の貴族文化しかなかったのか、と問題提起したいが、当然京の外にも人のいた所には文化があったはずであり、その違いは記録として残り(その背景には文字や豊かな物資が存在していたことが大きく影響しているが)継承されてきたかどうかであろう。

人の集団があればそこには文化がある。大学には大学の文化があるし、会社には会社の文化がある。企業文化とか、社風とか呼ばれるものがそれであろう。単純に個人の慣習や歴史は文化とは呼ばれないのであり、そこにはやはり人と人との結びつきが必要であろう。

現代の人々の社会的な傾向としては個化、細分化が進んでいると考えられる。同じ趣味同士、性向を持つものが集まってクラスタ化する中にあってインターネットの存在は大きいだろう。ネットは個人の情報収集、発信を可能にしただけでなく、メール、メッセンジャー、BBS、SNSTwitter等のツールを介してより濃密なコミュニケーションの形成に寄与している。そこでは独自の文化も生まれている。

文化が豊かにディープになるほど、時に部外の者からは理解し難いものになることもあり得る。しかし文化は精神的所作に拠るものなのだから、それを理解しようとするに当たってはそれを作った者たちの思想の理解もまた必要であると言えよう。