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私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

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私の嫌いなもの

こころの記録

最近よく書くのだけど、私は嘘を付く人間が嫌いだ。

騙そうという悪意が無くとも、自分の言ったことを守らない人間、適当にでまかせを言う人間、そういう人間は本当に信用できない。分からないならわからないと言うべきだし、事情が変わってできなくなったのならそれをきちんと相手が納得するよう説明するべきだ。

空気を読むことを強要する社会も嫌いだ。本当に害悪だと思う。相手に気づかせるという方法が、時に有用な時もあるけれど、外れたものをいじめの対象にしたり、積極的で建設的な議論を抑制したり、負の側面が大きすぎる。 誰も望まない空気に支配されたりして不幸だ。

相手を傷つけたくないのではなく、自分が悪者になりたくない人間

で、なんだろう。その場を繕うための詭弁とか、お世辞とか、全部なくなればいい。

よくあるのが「予定があったら(時間があったら)行く」とか、とりあえず言う人。本当に予定がどうか分からなくて言うならいい。でも大体分かる。本当はその時点で行けない(行く気が無い)と思っても断ったら悪いから、行けるようなふりをしたんだろうな、と。

いや何も、出会う人で会う人けんか売って歩く必要は無いから、いちいち反論するべきと言っているのではない。それではこちらがまいってしまうから、黙っておけばいい。でも何で思ってもいないことを言うの?相手を褒めたりいい気分にさせるために言うなら、事実だけを言えよ。相手にいいところがなさそうに見えても、がんばっていいところ見つけるとか言い回しをすごく工夫して褒めてるように見せろよ。

結局それは、相手のことを思いやってる訳じゃなくて、相手を傷つけることで自分が悪者になりたくない、罪悪感を持ちたくない、という利己的な考えだと思うんだよね。だからその場だけはいい顔をしておく。それは優しさではない。

そんなことされると私はもっと傷つくんだよ。人が信じられなくなる。笑顔で話していても本当は正反対のこと思っているんじゃないかとか、今話していることをすごく不快に思っているんじゃないかとか。

どうでもいい相手にどうでもいい話してるときはそんなものなのかね。真剣に話してる相手に対してそれはないと思うぜ。

私には言外のニュアンスを慮るのがすごく難しい。非言語的なコミュニケーションが苦手なんだろうな。

口だけ友達ヅラする人間

何でもない人に「友達だよ」と気軽に言ってしまえる人も信用できない。だって本当にそんな風に思っていないに決まっているんだから。私は比較的いろいろなことに興味があるし、興味を持った人には積極的に話しかける性格だと思っている。でも少し話したり、会えば挨拶をする仲だからってそれは、友達ではない。せいぜい「知り合い」レベルだろう。同じ組織に所属していたり少し知っているからって友達と呼ぶことにはすごく抵抗がある。友達でなくても、一緒に遊びに行ったり、何かちょっとしたことで助けたりすることは十分あり得る。それは友達に対してではなく、世間一般の人々に対してそうなのだ。

何もないところで「あなたの友達は誰ですか?」って聞かれて挙げるときにたぶん私の名前は出てこないのだろうと思う。じゃあそれはやっぱり友達だと認識していないということだ。それなのに面と向かっていると友達と言えてしまう、その感覚がわからない。

私が一定の期間調子を崩していたのを知って、「心配したんだよ」と言ってくる人がたまにいる。心配してくれただけでもいいのかもしれないが、それが何なのだ。心配していたけども、結局何もしなかったじゃないか。

ちょっとやそっと体調が悪かっただけじゃない。もうぶっちゃけてしまえば、私が本当に人生に対して絶望と危機感を抱いていて、どうやって自殺しようか本気で考えていた時に、それをblogで見て知っていて尚、結局何もアクションを起こさなかったじゃないか。何ができるかわからなくたってとりあえず話しかければいい。それすらもしなかったのは個人的に関わりを持ちたくないと言う意思表明に他ならない。

あるいは仲間内の雑談の中で私のことが話題に昇ったのかもしれない。でもそれは私の苦闘を話題として消費したに過ぎない。心配したんだよということを互いに確認して、それで満足して特に何ができるかということを検討することもなく、何もしない、という選択に決定したのだ。友達のことを心配する慈愛のある私たちという、自己像に酔っているだけであり、実のところ何も知らなかった赤の他人と大差ない。

私としては、友達だと言う認識のない人にあまりにしつこく頼るのには抵抗があるから、少し話しかけてみて反応が芳しくなかったらこの人は聞いてれくれるつもりがないんだなと判断して以後、私の内面を話すことはない。それが私の他人に対する良心だと思っている。そうやって一人一人切っていって結局誰も残らなかったのだ。

私に友達がいないという事実に怒っているのではない。私のことを友達だと認識していないのに、そういった認識に伴う行動をしていないのに、友達ヅラする人間が理解できないのだ。別に最初から特に関わりがなかった人を恨んだりはしない。いや誰に対しても、恨むという感情を持つことが良い結果をもたらすとはあまり思わないから、基本的に誰も恨むことはない。だが、「友達だよ」「いつでも相談にのるよ」と言ってくれていた人間がサーッと私の前からいなくなったことに対して、口だけだったんだな、と認識を新たにしただけである。



(10/1/16追記)