豊橋・佐久間レールパークへ
昨日は大学に寄った後、COSMOの読書会に行って遅くまで酒宴だった。千種に行ったのは久々だったがOB・OGがやけにたくさん集まり楽しい会だった。今日は午前中病院で、明日佐久間レールパークに行くため現在豊橋滞在中。なかなか忙しい。どうも朝から胃がむかむかして気持ち悪いのは二日酔いなのか。なんかいつもと違う気がするのだが。
パノラマスーパーで豊橋まで
豊橋までは名鉄で行く。パノラマスーパーに乗るのも久しぶり。後継の新型車両が登場したが、やはり展望席のある花形車両パノラマスーパーがいい。
▲名鉄1000形パノラマsuper。
▲足元も広々。
▲この車両を横から見たイラストが動くスピードメーターが昔から好き。
新安城だったか、を出た直後、電車がのろのろ進みだした。右カーブのところで鉄道敷地内に入って三脚を立てている愚か者がいたため運転士が電車を止めて注意する。あーあ、線路内公衆立ち入りで電車止めちゃったよ。程なくして運転士は車掌と電鈴で連絡、「こういうわけだったからお客さんに謝っといてー」という会話が下の運転室から聞こえてきた。
名鉄とJRの線路共用区間
伊奈の先、平井信号場から豊橋までは、名鉄名古屋本線とJR飯田線の線路共用区間。それぞれ前身の愛知電気鉄道と豊川鉄道から引き継いだ経緯で非常に興味深い。是非配線図を頭に浮かべながら見ていただきたい。
▲築堤の下、右で二手に別れ下方に伸びているのが名鉄下り線。
▲左方から合流しているのがJR飯田線。ここから先は豊橋へ向かう名鉄とJRの列車が同じ線路を走る。
▲この区間は左から名鉄・飯田線上り、下り、JR東海道線上り、下りの都合4線。
▲JR飯田線の駅、下地、船町の両駅を通過。
▲豊橋駅場内信号。左が(飯田線・名鉄線)1,2,3番用。右が(東海道)上り1,2番用。左の進路表示機が右(3番)に開通を現時。
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▲豊橋で名鉄が使えるのは3番線の1本のみ。駅名標もJR仕様で名鉄は肩身が狭い。
飯田線:豊橋→中部天竜
飯田線は豊橋を出た後、先述した名鉄との分岐を通り、豊川から単線となる。佐久間レールパークのある中部天竜までは直通の臨時列車で行き違いを繰り返し2時間とちょっと。シルバーウィークとか言うらしい、秋の大型連休初日となったこの日、指定席は満席だったが自由席の着席率は90%くらい。次の日はもっと込んでいたみたい。
▲臨時列車「快速佐久間レールパーク」1号。上り1番(4番ホーム)から発車。
▲117系国鉄色で運転。
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▲飯田線と名鉄線の分岐する平井信号場。
▲見にくい写真で恐縮。この写真と反対の視点。
▲何の変哲もない列車行き違いに何故そんなに注目するw
▲臨時列車にはギターとサックスの奏者が乗っていて行き違い停車のたびにミニコンサートを繰り広げていた。
▲新城にて。
▲新城にて。
▲中部天竜に到着。ホームと電車の間、酷く開いているw
佐久間レールパーク
佐久間レールパークはJR東海が中部天竜駅構内に開く鉄道博物館。JR東海は今度新しく名古屋市内に博物館を作ることになり佐久間は今年の秋が最後となる。展示車両については検索すればいっぱい出てくると思うので特に興味深いものだけ取り上げる。
▲今ではスタンプにとって代わられた改札鋏。不正乗車防止のために改札を受けた駅の判定ができるよう様々な形のものが使われた。国鉄の鉄道管理局ごとに決められていて、この地区では駅名の頭文字の音で決まっていたらしい。
参考。
- http://www.railway-museum.jp/exhibition/238.html
- http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2006/02/post_215.html
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▲乗車券類を発行するマルス端末。
▲棒を差して駅名を指定する方式だったためスムースに発行するためには熟練度がいったわけだ。
▲これはなんていうのかな。駅構内の信号を切り替えるやつ。
▲モハ52形(モハ52004)。この52004号は1937年に52系電車の二次車として登場したもので、京都・大阪間を36分、大阪・神戸間を28分で走った。どうですか、このボデー!床下までつるっとしたスカートで覆った流線型の車体。前面4枚窓もお洒落。魚雷型電車なんていう風にも呼ばれて流線型ブームの走りとなったらしい。ところがこの列車のスピードでは空力特性上はほとんど意味がないらしく、現場では使いにくくて評判はあまり良くなかったということだから完全にデザイン先行だったようだ。きっと突然登場したこの車両に当時の人々のインパクトは大きかったんじゃないかと想像する。阪神間モダニズムの一つじゃないかと思うのだが、定義に当てはまらないのだろうか?
もっとも、本系列の動力性能(最高速度95km/h)では、流線形採用による空力的なメリットは十分得られず、機器の保守についてサイドスカートの着脱を必要としたことから保守陣から嫌われ、また乗務員扉を省略したことから客扱い上、様々な不便が生じたため、2回に分けて3編成12両が流線形仕様で製造されたにとどまり、急電運用に必要であった残り2編成8両については、52系と在来の42系を折衷した通常仕様で製造されることとなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8452%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
最終的に飯田線に転用されてきてここに残ったのだけど不思議なものだねぇ。ま、こういうこともあるようだけども。
クモハ52004は乗務員扉や、更新修繕で交換された屋根上のグローブ形通風器を存置した状態であるため、時代考証を全く無視した中途半端なものであるとして、ファンの間で賛否両論がある。
▲181系気動車とDE15形ディーゼル機関車(ラッセル除雪車)。DE15は冬季は高山線等で現役で稼働しているもの。近くで見るとかなりでかい。
続く