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私は何を知っているか?

Mark/まあく タイトルはミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)の言葉 「Que sais-je?(私は何を知っているか?)」

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読書することと情報の整理の仕方

本書『読んでいない本について堂々と語る方法』はパリの大学で文学を教えるピエール・バイヤール氏が2007年に出版するやベストセラーとなり、世界中で翻訳出版されている。訳者の大浦康介氏があとがきで言うように、原題の直訳は「読んでいない本についていかに語るか」である。日本版では(昨今売れ線のトレンドに合わせたのだろうか)いかにも「ハウツーもの」的なタイトルになったが、この本の内容からして、第一章から第二章を踏まえて第三章で書いていることがまさにそれなので至極真っ当なタイトルと言えよう。しかし、それでいてこの本は決して単純にその方法論を説いたものではない。

著者は本(読んでいない本)を4つに分類する。ぜんぜん読んだことのない本、流し読みしたことがある本、人から聞いたことがある本、読んだことはあるが忘れてしまった本、の4つである。読んだ本、等という曖昧な概念は意味を持たない。それはこの本が読んでいない本について書いた本だから当然かもしれないが、そもそも本について語るのに「本を読む必要などない」と言う過激な意見が冒頭から提示される。実に痛快な示唆ではないか。それはテキストを完全に理解することなど不可能に近いからと言う意味であり、読書とは極めて主観的な行為なのだ。本を読んだ後の私たちの記憶がとても曖昧なことからもわかる。本についての記憶とは、読んだものの持っている経験、置かれている状況、無意識下の価値によって自由に再編成されている。他者に全くの齟齬なく伝達の出来る言語など存在しない。

大事なのはここで語られていることは逆説的に、本を全く読まない人には本を語ることはできないと言うことだ(と思う)。


本書の中から、ローベルト・ムージルの小説『特性のない男』に出てくる図書館司書のケースを孫引きする。

「『どうしてわたしが全部の本を識っているのか知りたいとおっしゃるのですね、閣下?そのことなら、むろん言って差し上げることができます。つまり、一冊も読まないからなのです』」

「つまり、有能な司書になる秘訣は、自分が管理する文献について、書名と目次以外は決して読まないことだというのです。『内容にまで立ち入っては、司書として失格です!』と、彼はわたしに教えてくれました。『そういう人間は、絶対に全体を見晴らすことはできないでしょう!』

(略)

『その通りです。それに、大学の講師でもあります。つまり、図書館制度論担当の私講師です。図書館学というのは、それ自身だけで独立した学問でもあるのです。』と彼は説明しました。そして、『本の配置、保存、書名の分類、扉の誤植やまちがった記載の訂正その他をする場合の方法が、いったい幾種類くらいあるとお考えですか、閣下?』と尋ねました」

教養ある人間は、しかじかの本を読んでいなくても別にかまわない。彼はその本の内容はよく知らないかもしれないが、その位置関係は分かっているからである。つまり、その本が他の諸々の本にたいしてどうのような関係にあるかは分かっているからである。あるの本の内容とその位置関係というこの区別は肝要である。どんな本の話題にも難なく対応できる猛者がいるのは、この区別のおかげなのである。


pp.20-24

精神分析家でもある著者は、読書という行為を行う人間に働く作用を、3種類の<書物>とそれが属する<図書館>という言葉で定義している。ここにそれをまとめてメモしておく。悲しいことに、人間の読書の記憶とはすぐに消えてしまうものなので。


  1. <共有図書館>
    その本についてだけでなく、もっと広い範囲の一まとまりの本についての会話。ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体。
    • 遮蔽幕(スクリーン)としての書物
      われわれが話題にする書物。読者の自己投影によって作り上げられた代替物。
  2. <内なる図書館>
    個々の読書主体に影響を及ぼした書物からなる、<共有図書館>の中の主観的部分。
    • 内なる書物
      われわれの無意識下で新しいテキストの受容に際してフィルターの役割を果たす。われわれが書物を<遮蔽幕(スクリーン)としての書物>に加工する際の影響源。

      「耳の聞こえないもの同士の対話」=互いに異なり対立する二つの<内なる図書館>を出発点として対話しようとすることから起きる。お互いに読んだことのないある本についての会話。 ⇒みんなが別々の本にコメントしているも同然。
  3. <ヴァーチャル図書館>
    書物(より広く、教養)について他人と語り合う空間。各文化の<共有図書館>の可動部分で、語り合うものそれぞれの<内なる図書館>が出会う場。イメージに支配された空間で現実の空間ではない。
    • 幻影としての書物
      それぞれの(現実の)書物の潜在的で未完成な諸様態と、われわれの無意識が交差するところに立ち現れる。われわれの夢想や会話は現実の書物よりもこの上に成り立つ。


各節では例題として文学作品を挿話的に引用し、読み物としてもとても面白い本になっている。惜しむらくは、ご覧のようにこの本を私がトレースするように読んでしまっていることで、本について語るという創作的な行為を行う為には、本から一定の距離を保たねばならないのだがなかなか私の性分からは難しいことである。

読んでいない本について堂々と語る方法

読んでいない本について堂々と語る方法


ムージルの司書が言っていた、大事なのは情報の目録と位置関係であるという話は、朝日新聞の記者が書いた、朝日新書『情報のさばき方』にも書いてあった。

「インデックス情報」という手法は、不要な情報は捨て去り、自分にとって必要な情報がどこにあり、誰に聞けばいいのかという情報だけを管理し、記憶する方法です。

pp.24-25

自分がどのような立場にいるのかという位置情報を絶えず更新し、情報にかかるバイアスを補正しておく必要があるのです。

p.40

若いころから軍事専門記者として辣腕をふるった田岡さんに、ある時、「軍事を学ぶ要諦は何でしょうか」と伺ったことがありました。「それは地理と歴史です」

軍事の基本が「地理」と「歴史」にあるという指摘には深く考えさせられました。その二つが、常々私が思ってきた「位置情報」の基本と同じだったからです。

pp.46-48

自分では情報が持ちきれないから分散して保管しておく。受け取った情報がどのような立場から発せられたものか、今までにどのような議論があったか、複数の情報を組み合わせて検討してみる。本と自分との関係、仕事の仕方にも応用できる考え方だろう。

情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント (朝日新書)

情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント (朝日新書)



図書館司書を主人公に書いた異色の小説、有川浩の「図書館戦争」。これはラノベに入るのかな?大きい図書館の入り口なんかには掲げてあることもある、図書館のあるべき姿をかくも高潔に謳った「図書館の自由に関する宣言」に着目し、メディア良化委員会の検閲から図書を守る自衛組織、図書隊の姿を描いている。細かい設定も練られていてテーマもすごく面白いと思う。が、ラブコメテイストなのがなぁ、会話文なんかがベタベタして個人的にはあんまり好きじゃないです。続き読もうかどうしようかなぁ?

図書館の自由に関する宣言

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを、もっとも重要な任務とする。
この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。
第1 図書館は資料収集の自由を有する。
第2 図書館は資料提供の自由を有する。
第3 図書館は利用者の秘密を守る。
第4 図書館はすべての検閲に反対する。
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

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図書館戦争

図書館戦争